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1 ![]() 鎌倉山に入ると森を吹き抜ける風が少しひんやりとし、シャワーのように降り注ぐ蝉時雨が心地よかった。 ミンミンゼミに時々混じるツクツクボウシの鳴き声は、都内ではいまだ真夏日が続いているものの、季節が確実に秋へと向かっていることを告げていた。 その日は知人が主宰しているナワールガーデンという鎌倉のオルタナティブ文化の拠点ともいうべき場所の有機栽培農園の公開日だったので、かねてより、そこで農業を学びたいと思っていた私は2か月振りに訪れることにした。 私がナワールに惹かれるのは、同調できる宇宙観とコンセプトのある場所であることと、集まる人それぞれが自分の文化や旅の背景を持っていること。そこには命の強度を強く感じさせながらも、静かで優しい空間があり、それがとても心地よいと感じていた。 ナワールの畑には直線的な畝がない。一見すると雑然としていて、どこに何が植わっているのか すぐには分からない。見慣れない作物も多い。同じ種類の作物でもクラスター状にちりばめて植えたり、ヘビのように蛇行した形の畝があったりする。 最初にこの畑を作ったアーティストDavid氏はそれを半分は自分のアートとして造形的に作ったのだと言っていたが、作物同志のコミュニティデザインでもあると言っていた。 たとえば米と麦を同じ場所で栽培した際に先に枯れた稲が麦の苗床となる。それと同じことが他の作物にも言えるらしい。 相性が悪ければ光や養分を取り合うことになるが、良ければ米が麦の苗床になるように役目を終えた作物が次の作物の土壌になったり、ゼラニウムがハーブにつく害虫を追い払う役目を担ったりと、互いに補う存在となる。 何がよくて何が悪いということではなく、それぞれをどう組み合わせて関係を作っていくのかによって結果が変わっていく。それは人も植物も同じだと感じた。 解説を聞いているうちに、最初は混沌として見えた畑が徐々に一定の秩序を持つ風景へと変わっていった。 作物の名前と、それがなぜそこに植えられたのかを聞くたび、それまでは茫漠としていた視界の向こうに、目には見えない地図が描かれていくのが見えた。 その後母屋に戻って、畑で採れたハーブティーをみんなと飲んだ。インド原産のバジルがアムリタのように香りが良かったので、余っている株を譲っていただいた。今自宅で育てて毎朝いれて飲んでいる。 自宅で栽培している株が増えていったら、他の人にも譲ってあげよう。 いつも同じメンバーが一緒にいるわけでもなく、そこに集った時の気持ちが形を変えて伝搬していく。このようにしてナワールは静かに広がっていくのかもしれない。 植物の種が風に乗って旅することにも似て。 また、近いうちに、今度は秋の農作業を手伝いに行こう。 できれば何かささやかな「おみやげ」を持って。 ▲
by mikeneko301
| 2010-08-17 11:35
| 雑感
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