CAT'S EYE(猫の視点)

もっとキスを…

Besame, besame mucho,
como si fuera esta noche la ultima vez
Besame, besame mucho...
que tengo miedo de perderte, de perderte despues...

もっとキスをして まるで今夜が最後であるかのように
もっとキスをして 後であなたを失ってしまうのが恐いから...


戦後1940年代のヒットソング(作曲されたのは戦前)
Besame Mucho(ベサメ・ムーチョ)を作曲したメキシコの
コンスエロ・ベラスケスが他界したのは去年のことだった。

Besame Muchoは、彼女が21歳のとき、彼女の友人の話に
インスパイアされて一気に書き上げた曲だったという。

そのエピソードというのは、長い間入院していた友人の夫が
何かのはずみに、自分の死期が近いことを知り、生き残る妻に
「死にゆく自分のために、もっとキスをしてほしい」とせがむ、
というものだった。

歌詞の切なさと、憂いを含むメロディーラインが人々の心に
訴えたのは確かだが、それ以上に、あまりに多くの人々が
第二次世界大戦で死んでいったことも、この歌が世界的に
ヒットしたことと無関係ではないだろう。

愛する人を残して、死にゆく人々の悲しみ、
避けられない死によって、愛する人と引き離される人々の悲しみ、

1940年代に、この曲がラジオから流れたとき、
多くの人々が、この歌の裏にある背景と、自身の追憶の
中にある面影とを、心の中で重ねたに違いない。
消すことのできない想いとともに。

だから、この歌はふつうの状態の男女の愛を歌ったもので
あってはならなかった。なぜなら、目前に迫る「永遠の終わり」
を知るからこそ、今この愛が燃え上がるからだ。

だが、この歌に限らず、このような切なさを生む心の動きは
ラテンアメリカの音楽や文学では、よく扱われるテーマだ。
死にゆく恋、全てを捨ててあてどなく亡命する男、追憶の面影と
いった内容が、ラテンアメリカの音楽では、しばしば歌われる。

私はラテンアメリカの文化が持つ、この性質が好きだ。
終わりを、限界を、確かに見据えているからこそ、
絡み合った生と死は、永遠の追憶へと焼き付くかのように
燃え上がる。そして、涙さえも、乾いた風の彼方へと散っていく。

愛はいつも悲しみと表裏一体なのかもしれない。
古代ギリシャ語のポポイ(愛/哀)という単語が示すように。
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by mikeneko301 | 2006-12-13 22:09 | 本・音楽・アートなど
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