CAT'S EYE(猫の視点)

a flower is not a flower

例えば花瓶に生けられた花を描いている一人の画家がいたとして、 その画家が描いているモノは花だけなのか? そんな疑問があったりする。

中学生の時のことだった。私は水の入ったワイングラスのデッサンをしていた。描くことの8割は観察と思いをめぐらすこと。穴があくほど、グラスを見つめ、時折鉛筆を動かす。

グラスについた結露とグラス越しの風景は、やがて心眼の網膜の中で明け方の草原に光る朝露に変わり、星空と重なった。

その時、グラスがその場に来るまで、どのような経緯を経たのか、あるいはそこに満たされた水は、どのような道を辿ってきたのかという疑問が湧いたりもする。そうしているうちに、ようやく描くべきものが像を成してくるのだ。

絵を描くことは風景との対話だ。それは花を描きながらも、同時にその花の生長の過程で乗り越えた風圧や天候、花瓶の原料となった土の成り立ち、職人の手を感じる時間でもある。



同じようなことが音楽でも言えるのだと気が付いたのは高校生の時だった。イヴリー・ギトリスというイスラエル出身のバイオリニストが来日したとき、私は2階席の先頭で彼の神がかり的な演奏とバイオリンを見つめていたのだが、ふと自分がバイオリンだけを見ているのではないのだということに気が付いた。

半ば意識が遠のくような感覚がして、私は、音楽の黎明期に原始的な弦楽器を奏でる素朴な人々の姿を見た。より良い音をと改良に頭を悩ます職人達を見た。音を媒介に世界の秘密を探ろうとしている作曲家を見た。楽しみであれ、苦難であれ、葛藤であれ、そこは愛に満たされた空間のように感じられた。

バイオリンがその形としてあるのが、改良の結果であるように、今ある音は、その音によってのみ存在しているのではない。あらゆるモノとモノの関係性によって長い時間をかけて生成されたものなのだ。

では、それらを生成する力とは何か?


※以上の文章は過去に書いた記事のアーカイヴです。
2004.10.23 22:20
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by mikeneko301 | 2013-11-10 22:36 | 記憶
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