CAT'S EYE(猫の視点)

風景の深度、あるいは内面への眼差し

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季節の変化は、空気の感触の変化から一番感じられるのではないだろうか。初夏から夏にかけての夕暮れ時、あるいは秋雨の一晩降った翌朝の雨上がりの道を歩くとき、静かな高揚感を感じる。濡れたアスファルトが、まだ高い陽の光に照らされ、車についた水滴の一粒ひとつぶに、空の色が映る。あるいは、若干湿り気のある真新しい空気がこれまで見慣れた風景を、夢の中で見る自分の故郷のように、どことなく現実感から離れた表情に見せることもある。

水たまりを最後にのぞき込んだのはいつだっただろうか。夕立の残した水たまりは、子ども時代にはごく自分と近い場所にあったように思われたが、大人になった今となっては靴を濡らさないように避ける対象のみとなってしまっている。視界の中には入っているのだが、中を見るのと避けるために見るのとでは、そこに注ぐ眼差しが全く異なる。

かつて幼い私にとっての水たまりは空想の中にある違う街の入り口であった。水たまりの中に映る逆さまの街は、手を伸ばせば届きそうに思えた。街並みから空へと視線を向けると水深が無限にあるように見え、それをのぞきこんでいる自分の体がかすかな浮遊感を感じるのであった。

風景は建築などの人工物や木々などの自然物に限らず、物理的にそこにあるものから作られる。しかし同時に風景は人の心を映す鏡なのだと思う。そしてほんの少し日常のそれとは異なる目線を持つだけで、退屈に思える街並みも鮮やかに色づくことがある。雨は日常にあるものでありながらも、日常の風景を一瞬にして変える一つの要素なのかもしれない。そんなことを思いながら、雨の街並みを歩いてみようと思う。
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by mikeneko301 | 2012-09-26 23:00 | 散歩
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