CAT'S EYE(猫の視点)

memorandum



今日、友人とICCでDumb Typeのmemorandum
という作品を観た。

人は目の前に散りばめられたフラグメントを見ると、
無意識のうちにそれらを思考の中で秩序立てて
一定の文脈を探そうとしてしまうのだろうかと思う。
たとえば夜空に散らばる星々の中に星座を見いだすように。

爆音とともにフラッシュバックのように移り変わる映像。
右から左へと高速で流れ続ける数列。
メモ帳に殴り書きされる言葉、部屋のレイアウト。
しかし次の瞬間にそれらは破り捨てられ、
ただの紙くずとなる。

それらを目で追いながら、いかに自分の脳が事物に
法則性や秩序を見いだす習慣を身につけてしまったか
を思い知らされる。

メモ、ランダム、記憶。
今の自分のアイデンティティや世界を構成しているのは、
それまでの人生と我々が思いこんでいるものの連続的な
過去の記憶だ。

たぶん私達は無意識の内に事物と事物の間に
言葉という境界を挟み込み、意味を見いだそうとする。
バラバラのピースを編集し、ひとつの文脈を作り上げ、
意識の鏡が映し出す風景を世界と思いこみ安住する。
そうすることで、安心しようとするのだ。

しかし、あえて今、それらを疑ってみる。

見ようとしていないだけで、本当は知っているはずだ。
いかに記憶や認識というものがいい加減なものなのか。
肩を並べる私とあなたが見ている風景が驚くほど違うことを。

事物と事物の境界を溶かし、意味の枠を取り払ってみる。
すると新しい世界が見えないだろうか。


次々と作り上げられては破壊されていく文脈は、
見ていて清々しくすらあった。

それは、自分で作り上げた意味という呪縛の中、
予定調和的に見続けている世界を、私の無意識が
ほんの少し息苦しく感じていたからかもしれない。
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by mikeneko301 | 2010-06-20 23:01 | 本・音楽・アートなど
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